化粧坂:鎌倉へ入る切通しの一つ、名前の由来は平家の
大将の首実検をする時、化粧した遊女がいたとの説あり
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S字の険しい坂道、頂上は源氏山、汗拭き拭き登る
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化粧坂の土質は深沢凝灰粗粒砂岩層で貝殻の化石含む
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頼朝像:1980年建てられたもの
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寿福寺の大仏次郎の墓
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俳句の虚子の墓
さえずりや立子の墓見る虚子の墓(成瀬正俊作)
星野立子は虚子の次女、向き合って建つ墓を見落とした
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北条政子の墓
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北条政子の墓の説明をする滝内さん
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寿福寺山門
寿福寺の開山は栄西、開基は実朝(頼・政子?)
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八幡宮の大銀杏の下で、参加の皆さん
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護良親王を祀る鎌倉宮
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護良親王が幽閉された牢獄
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ドイツ人経営のドイツ料理店シーキャッスルにて
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昼食はドイツ料理
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大仏をバックに参加の皆さん
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大仏は1243年木造で完成し、1252年青銅で完成する
木造は鋳造鋳型の原型であったとの説もある
金メッキされていた残りと見られる痕も見られる
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大仏内部
1960,61年頚部を強化プラスチックで補強、台座は免震構造
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六地蔵:やや北に刑場があった、罪人の霊を弔う為の地蔵
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元八幡:
源頼義が奥州征伐勝ち、岩清水八幡神を勧請し建立
子の義家は奥州に赴く途中参詣し、社殿を修復した
頼朝は鎌倉に居を定め、今の八幡宮に社殿を移した
その後はここを元八幡(鶴岡由比若宮宮)と呼ぶようになった
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源義家公が旗を立てた松の痕跡
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宇津宮辻幕府旧跡:
北条泰時は平安京をモデルに鎌倉の街づくりを構想、
政子の死後、大倉御所からの移転を敢行した。(1225年)
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若宮大路幕府跡:
将軍頼経が度々病魔に襲われ、宇津宮辻子の土地の神の祟り
と考え1236年ここに移築し、幕府滅亡まで、幕政をここで行う
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