2日目: 気仙沼~北山崎~宮古

2nd day: Kesennuma-Kitayamazaki-Miyako



気仙沼大島で泊った休暇村の配置図
大島は気仙沼からフェリーで30分程の処

大島の若木浜から太平洋を望む

大船渡漁港施設の惨状

復活した大船渡港水産物取引市場

大船渡港には外洋漁船が停泊していた

大船渡港付近の津波被害・地盤も沈下している

陸に打ち上げられたままの外洋漁船

陸前高田の残った一本松近くには行けずズームの写真
巨大な水門もあったが役立たずだったようだ

高田の松原の松、一部は製材、一部はガレキ

陸前高田市は奥深く迄津波の被害

陸前高田のガレキ処理 

 陸前高田の仮設住宅・桜咲き、鯉のぼり泳ぐ

陸前高田に近い景勝地の碁石海岸、被害は見られず 

 JR大船渡線の津波で流された路床・大船渡市

陸前高田の津波浸水域地図 

 大船渡の津波浸水域地図

大船渡湾を望む・クルーズ船日本丸が入港していた 

 釜石市の津波被害(バスから)

津波で破損した大槌町町役場
屋上に避難した一部の人が助かった 

 大槌町役場正面
この前から町長さんが流された・全員で黙とう

大槌多目的センター前で説明する職員 (奥様は亡くなる)

 山への避難路は急坂・逃げきれない高齢者もいたそうだ

昭和8年3月3日の津波の教訓を記した碑、大槌町の何処に建っていたか誰も知らなかったそうだが、何処からか流れ着いたとか 
その内容は、「地震があったら津波の用心」 「津波が来たら高いところへ」 「危険な地帯に住居をするな」
 

被災した家の玄関にこの様な記述が、黙祷 

大槌町の水門は停電で閉まらなかった
水門が閉まっていれば被害は今少し軽かったのでわ、との説明

大槌町にはテント張りの復興食堂がある
我々の昼弁当も此処で作られた・復興への協力 

 大槌町の仮設住宅

北山崎の景勝地はガスの中、残念 

 北山崎の赤松林は一見の価値あり
   

北山崎はこんな眺め、10年前に来た時は良く見えた 

 田野畑の三陸鉄道・残った橋げたの上に模型の車両

島越駅跡
この流された駅舎を復興する為に、参加者は幾許かの
資金を提供する。総予算の10%を生み出す予定だそうだ 

 2001年10月、車で東北を訪ねた折、この駅に寄った
駅名はカルボナード・島越と言うシャレた駅舎

島越には漁港もあったが、堤防は津波で破壊 

 駅名・カルボナード島越の由来の碑が残っていた

4月から開通した三陸鉄道の小本駅から宮古迄乗る 

 小本から宮古迄は一日7本の列車が走る

三陸鉄道内部 

 以前訪ねた時の島越駅の時刻表・1日12本走っていた
奥に見える階段が流されずに残っているもの

田老・3本の10m堤防も津波は防げなかった、破壊もされた 
 
田老・水門に激しく砕ける津波(列車内での説明写真)

列車内で津波被害を説明するボランティアガイド 
ご自分の家は流されたとの事である

 三陸鉄道北リアス線の終点は宮古
ここからJR山田線が盛岡に通じる