Panasonic、SONY、SAMUSUNGなどの家電店街
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街の真ん中にも屋台の店
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フマユーン廟:世界遺産 左は入り口
ムガル帝国第2代皇帝フマユーン廟はその妃が1565年に建造した。庭園の中に廟を置く形式で、その後この影響を受けて建てられた
タージマハルに比べれば小さいが、インド・イスラム建築の傑作である。中央にドームを頂き、左右対称の建築は安定感が際立つ
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建物中央に白い大理石の棺が置かれる 遺体はこの真下に安置
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皇帝以外の棺は他の部屋に複数安置されている
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デリーは碧が多いと云われている
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(世界遺産) ラールー・キラー:ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンはアグリからデリーに都を戻し、
新たに自分の名を冠したシャー・ジャハーナーバードを造営、これが今のオールドデリーで、
その中心にラール・キラー(レッド・フォート 赤い砦)は1639〜48に建設された 中へは入らず、外側のみ観る
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インド門: 車内からの見学
1911年、コルカタからデリーへ英領インド首都が移り、イギリス人
建築家に因って1931年完成した。高さ42m、一次世界大戦の
戦没者の慰霊碑でもある。門の遠くに見えるのは大統領官邸。
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ラージ・ガート:
ガンジーは暗殺後、ヒンドゥー教の作法に従い、ここで火葬された
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ガーンディー記念博物館入り口
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ガーンディーの日記より
刑務所は収容の場、懲らしめる場ではない
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ガーンディーはインド独立運動の支援者の民族資本家
ビルラー財閥の邸宅にしばしば身を寄せ、住んでいた建物
生涯最後の144日をここで過ごした。インド門の南西に在る
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使っていたベッドと寝具
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死の直前まで使っていた種々の品物
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Sard Patelと最後の会合を持っている処
1月30日、4:00〜5:00、それから祈祷に向かい暗殺された
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