頣和園・明の十三陵・万里の頂上・夜の天安門・京劇

Iwaen garden, Min's 13 manusoleum, Great wall, Tenanmon gate in night and Pkin opera


2日目は7時半の出発で、頣和園、明の十三陵の内の「定陵」(北京の北西50km)、昼食の広東飲茶後、万里の長城の八達嶺へ。
北京から北東75km。北京へは6時半に着き天安門広場に接する倣膳飯店で宮廷料理、ゆっくり味わう間もなく、京劇を観劇する。
今日も忙しい観光の一日であった。


頣和園入り口近くの古い民家の佇まい

広い頣和園の昆明湖には薄っすらと氷がはっていた

頣和園の排雲殿と仏香閣
頣和園は北京の北西部に広がる清王朝の御苑、1750年に
乾隆帝により清漪園として開園、1860年英仏軍によって破壊。
1895年西太后が還暦祝いに再建した。海軍の軍費を流用した。
総面積290万㎡、西湖を模した昆明湖の土砂で万寿山を築き、
華麗な建造物を造り、外国使節の接待や内政外交の指揮を執る
728mの昆明湖に沿った回廊には8000幅の見事な山水、
花鳥が描かれ、さながら画廊を思わせる


楽寿堂:ここが住居


回廊の部分部分に休み所があり、その天井も見事


明の十三陵の配置図
長い参道の奥の八達嶺に連なる天寿山の裾野に13の陵が
配置されている。長陵、定陵、昭陵が公開さあれている


十三陵全体の山門(石牌坊)

定陵の上屋、この27m下に墓が地下宮殿として造られた
14代皇帝(1563~1620)神宋万暦帝の墓、2人の皇后共に
石牌坊を過ぎると参道には800mに亘り獅子、駱駝、象、麒
麟、馬の石獣各一対と文官、武官、功臣の石人44体が並ぶ

地下27mの玉座、1957年に発掘された

棺のあった場所を赤い箱で示している
中央が帝、左右の小さいのが皇后、本体は博物館に

万里の長城、八達嶺の頂上近く迄ゴンドラが

万里の長城:全長6000km、平均して高さ7.8m、
底幅は6.5m、上幅は5.8m。2500年前に周が匈奴の進入を
防ぐために建造を始め、秦の始皇帝が30万人の軍と100万人
の農民を駆出し、大量のレンガを焼かせ、建造を進め、その後
の王朝も北の侵入を恐れ拡張を続け、明が蒙古を恐れ修復した


万里の長城

観光客で賑わう万里の長城

夜の天安門

毛主席祈念堂:天安門広場の南面に建つ、水晶の柩に眠る

宮廷料理:天安門琺仿膳飯荘
創業1925年、清朝宮廷の名料理人の伝統を継ぐ宮廷料理
800種に及ぶ満・漢の代表料理全体に淡白でまろやかな味
次の京劇の時間が迫り、余り十分には味わえなかったがね
京劇の一場面
1時間半程に2演目、イヤホーンを借りて解説を聞きながら
の観劇であった。下の写真は何か盗賊の物語であったが、
ストーリーは単純、衣装、動作に特徴があるのだろうが、
歌舞伎程の重みは感じられなかった