ルクソール・ナイル川西海岸

  王家の谷・ハトシェプスト女王葬祭殿・メムノンの巨像

Luxor and the Nile west coast
Valley of the Kings,queen Hatoshepst creemony hall after dead and Colossus of Memnon


ルクソールはかってテーベと呼ばれ、中王国、新王国そして末期王国の一時期(4000〜2900年前)には首都として栄えた。
ピラミッドと葬祭殿が一体となっていたものが、王家の谷のような墳墓とハトシェプスト女王葬祭殿に代表される神殿とに分かれた。
太陽の沈むナイル川西岸の砂漠は、古代エジプト人にとってあの世がある場所で、墓地であった。
王たちは盗掘を防ぐため、西岸の奥深い谷に死後の安住の地を求めた。しかし殆どの王墓は略奪に合った。例外はツタンカーメン
で、18歳で早世したため権力弱く、墓が質素っだったため、盗掘を免れた。それでも考古学博物館の2階の半分を占める財宝が
あったのだから、強大な王の墓の副葬品はいかばかりであったか創造出来ない。王家の墓は62が現在確認されている。

上記以外にも王妃の谷、貴族の墓、セティ1世葬祭殿、ラメセス2世葬祭殿、ラメセス3世葬祭殿、アメンホテプ2世王宮跡などある。


王家の谷 正面の山をピラミッドに見立てて
62の墓がある十数か所が公開されている

ツタンカーメンの墓の入り口にて

ツタンカーメンの石棺安置所、ミイラはこの中に安置
写真は撮れないのでこれは絵葉書のコピー
3000年以上前の状態が確保されているのが驚異

ラムセス6世の墓所、レリーフが一番素晴らしい(コピー)

ハトシェプスト女王(最初の女王)葬祭殿
以前ここで日本人観光客がゲリラに狙撃された

葬祭殿のレリーフ、壁画が素晴らしい
パピルスのレリーフ、緑色が残る

ハトシェプスト女王の像
ツタンカーメンより6〜7代前の王

葬祭殿のレリーフ

観光客をゲリラから守るための山の上の監視所

新王国絶頂期のアメンホテプ3世の巨像
坐像の後ろには彼の葬祭殿があったが、後の王達が
石材を使ってしまったとか(ツタンカーメンの2代前の王)